フィレンツェから列車・バスの旅 2泊3日 

(1)プロローグ

(2)第1日目

(3)第2日目 

(2)第1日目 アッシジへ


母(我がママ)は、無事フィレンツェに到着した。小さなフィレンツェの飛行場の到着ゲートから姿をあらわした。「ベン ベヌータ!(Ben venuta!):いらっしゃい」と声をかけた。イタリア人やその他の外国人は、皆抱き合ったり、キスしたりして出迎えるけれど、日本人の私達には、そんな習慣はないし、ましてや母・娘で抱き合うなんてちょっとね、彼氏とかならわかるけれど・・・。まぁ、なんてあっさりした出迎えなんでしょう。ちょっとお疲れぎみの我がママの荷物を押して、さっさとタクシー乗り場へと行く私達。ホテルは、私が住んでいるアパートからすぐ近くにある”チェライ(CELLAI)”をとっておいた。三ツ星で、こじんまりとしていて感じの良いホテルだった。さあ、1、2日フィレンツェでゆっくり過ごして、旅行にでましょう。私が考えた日程を我がママに話す。さすがに我がまま、「どこでもい〜のよ〜」なんて言ってても、自分が計画してないから納得が行かない様子。は〜やっぱり予定は未定となるのね。電車のチケットを買ったり、ホテルを予約してなくて良かった。まあ、それでもまずはアッシジへ行くことになったのだ。

さあ、アッシジへは予定通りの出発となった。アッシジへの直通電車は、午前中には1本。フィレンツェ 08:09発 アッシジ 10:33着。イタリアでは、電車のチケットを窓口で買うのはすごく時間がかかる。窓口が10個あっても半分は閉まっている。その上、フィレンツェは観光客が多いから皆いろいろ聞きながら買う為、さらに時間がかかる。出発の30分前には行って、窓口に並ばないと間に合わない。だから、本当は前日にチケットは買っておくことをお薦めする。アッシジからその後、ローマへ行くことを決めたのでフィレンツェ−アッシジ、アッシジ17:29発−ローマ19:54着のチケットを購入した。ローマの宿泊先はアッシジで決めて、ローマの後の観光は、ローマで決める事にした。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に07:40頃着くと、案の定チケット販売の窓口には行列ができていた。「やだ、間に合うかしら?」と我がママ。まあとにかく仕方がないから、じっと待つこと20分、なんとか間に合った。何番ホームか確認して、電車に乗り込む。アッシジへの直通電車とあって、結構混んでいた。取りあえず席は確保できた。そこで、我がママ「お腹が空いたわ。何か食べるもの買えないの?朝、時間がなくて食べられなかったから。いつもは、この時間には朝食食べてるし。はぁ〜お腹空いた。」ここは、日本じゃない!新幹線のホームみたいにお弁当屋やコンビニなんかない。駅の入口にマクドナルドはあるけれど、とても3分そこらでは買うのは不可能だ。これも切符同様、行列になっている。キオスクにしたって、電車を降りて駅の入口まで走って行って並んで買って戻って来るのは無理。「もうすぐ発車だから買いに行くのは無理だからあきらめて。」「え〜!じゃあ、何かお菓子持ってきてないの?」「ないよ。1時間20分程で到着するから我慢しなよ。」「はぁ〜仕方ない、飴でも食べるか。」と自分のお菓子袋(いつも、飴とかチョコレートとかガムなどを少し入れて持っている袋)から取り出した。さあ、そうこう言っている内に電車が発車した。フィレンツェを出発すると間もなく、景色はトスカーナの田舎になる。アッシジへは駅からバスだけど、本数はいっぱい出てるのかなとか、ローマのホテル取れるといいなぁとか考えている内に到着した。まずは、2泊3日の旅だから荷物もあったので駅に荷物を預けることにした。荷物預かり所は、駅構内のキオスクが兼ねていた。ここで荷物を預け、バスのチケットも往復買った。さて、まずは我がママのお腹を満たさなければ。電車がアッシジ駅のホームに入る直前に窓の外にマクドナルドが見えた。私は、バールのパニーノ(硬いパンのサンドイッチ)でも良いのだけれど、我がママはこれは受け付けないようだ。マクドナルドでコルネット(cornetto:クロワッサン)とコーヒーを飲んだ。さあ、そんなにゆっくりもしていられない。またお昼ご飯になっちゃう。駅前からバスに乗って、アッシジヘ。


アッシジへは、駅からバスで10分弱。スバズィオ山(Monte Subasio)の斜面にある聖フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)を見ながらバスは坂道を上がっていく。あ〜遠くに聖サンフランチェスコ大聖堂が見えるこの景色、懐かしい!「あの旅行の時、この辺から見たんだよね。この脇のぶどう畑から写真撮ったんじゃなかった?大地震後で、修復のクレーンが見えてたよね。」そして、サン・フランチェスコ門に到着。ここでバスを降りた。サン・フランチェスコ門はくぐらず、そのまま坂道を上がって聖フランチェスコ大聖堂へ直行した。


外観はすっかり修復されていた。白と薄いピンク色の石で築かれた建物。下部教会と、上部教会からなる。下部は、聖フランシスコの墓となっている。天井は低く、暗く冷んやりとした堂内。上部は、高い天井の明るい堂内だった。内部の壁の一部は、まだ剥がれ落ちていた。中庭には、回廊がありパパ(ローマ法王)の写真がたくさん飾られていた。大聖堂を見て回るのに、優に1時間半はかかった。上部教会の外に出ると、きれいな緑の芝生に花々が植えられていた。

その後サン・フランチェスコ通りを行かず、サン・フランチェスコ大聖堂の上部教会を背にして左端のビア・メリー・デル・ヴァル(Via Merry del Val)を通った。両脇は、普通の民家のようだ。しばらく進むと、すぐ城壁門にあたった。町の周りは、すっかり城壁で囲まれている。城壁門はくぐらず、ビア・メタスタズィオ(Via Metastasio)を通り「お昼にしよう。」ということになった。


ちょうど、通り沿いにレストランがあった。中を覗くと、テラスがあって外の景色が眺められるようだったので、ここにした。赤ワインとパスタ、私はトルテリーニにした。アッシジのレストランはおいしくなくて値段は高い処が多い、と聞いていたが案の定、味は今一つ二つ。まあ、アッシジから見下ろす景色が見れたので、良しとした。やっぱり、ワインを飲んで食事をすると、最低1時間半はかかっちゃう。そして、観光はどうでもよくなり、高台の微風にすっかり気分は良くなり、景色を眺めつつ長居をしてしまうのだった。


さあ、再出発!ビア・メタスタズィオ通りから左に小さな階段がありそこを上がって、ビーコロ・サンタ・クローチェ(Vicolo S.Croce)を進んだ。細い道は、静かで小さなアーケードがいくつもある。しばらく小道を町のおじいさんなどに「ボンジョルノ!」と声を掛けながら進んだ。

このまま、大城塞ロッカ・マジョーレへ行こうと思っていると、少し方向が違って来た。先を歩く我がママに「そっちじゃないみたい。」という私の声を無視して、好きな方向へとタカタカ歩いていく。「ね〜そっちじゃないよ。」我がママは、地図も見ずにただただタカタカと歩くのが好き。普通の観光客が歩くメイン通りを歩くより、ちょっと横道を歩くのが好き。何か面白い事がおきそうな期待が大きいのか?その内どこかへでるでしょう。が、しばらくすると、河原の小道のような雑草の生えた土道となったので、中心地の方へ下る事にした。


そして、突き当たったのが、右の写真のサン・ルフィーノ大聖堂(S.Rufino)だった。この教会は、まだ修復中で大工事行われていた。中へは入れなかった。

そろそろ、ローマのホテルを決めなくちゃ。公衆電話で夫から推薦してもらっていたホテルへ電話を入れてみることにした。イタリアの公衆電話は壊れているのが多い。最近、家に電話を引いたのだが電話がなかったころは、アパートの前の公園に3つ公衆電話があったので、そこから電話していた。ところが、その内の1つは大抵”故障中:Fuori Servizzio”で、ひどい時には3つとも使えないこともあった。この電話は幸い使えたが、雑音が入りちょっと声が聞き取りにくかった。それでも何とか私のつたないイタリア語も通じて「最後の一部屋だよ。」とツインがちょうど一部屋あった。駅から徒歩3分ほどだし、よかった、ここにしよう。これで安心してこの後の観光ができるわね。


そして、またトコトコ歩き回った。そして、ちょっとした広場に出た。「ここはどこかしら?」コムーネ広場(Piazza del Comune)へでたようだ。この広場で目についたのは、左の写真のミネルバ神殿(Tempio di Minerva)。ローマ時代のものだそうだ。

その後、サンタ・キアーラ教会(S.Chiara)、サンタ・マリア・マッジョーレ教会(S.Maria Maggiore)、ヌオーヴァ教会(Nuova)、サン・ピエトロ教会(S.Pietro)などをながめて、サン・フランチェスコ門へ戻って来た。かなりの距離を歩き、教会の中へ入ると上ばっかり眺めるし、かなり疲れた。門を出たところのバールに入り、コーヒータイムにすることにした。「あと見てないのは、どの辺?」と我がママ。「最初に見ようと思っていた大城塞ロッカ・マッジョーレと小城塞ロッカ・ミノーレ(Rocca Minore)と・・・。でも、もう時間も1時間半ほどしかないし、歩くのは大変だし、どうしよう。」「タクシーに行ってもらって、そのまま駅へ向かうっていうのはどう?」最初に到着したバス停に、タクシー乗り場があり、ちょうど一台とまっていた。小城塞ロッカ・ミノーレ、大城塞ロッカ・マッジョーレなどを回って駅まで1時間ほど乗っていくらになるか、まずは値段を交渉して乗り込んだ。


小城塞ロッカ・ミノーレは修復中だった。そして、大城塞ロッカ・マッジョーレへいってもらった。ここは結構楽しかった。細い通路をず〜っと進んで、細い階段を上がると見晴らし台にでた。風が吹いていて飛ばされそうでちょっと恐かったが、遠くまで見渡せて気持ちよかった。城壁で囲まれた町とその周囲がすっかり見渡せた。町を見下ろすように建てられていて、ここから町を見張っていたのだろう。タクシーの運転手が「後は、どこかへ行くかい?城壁の外のサン・ダミアーノ修道院(Convento di S.Damiano)へは行ったかい?」そこへ寄って駅へ行ってもらうことにした。そして、スバズィオ山を下りてきて、途中でアッシジの全景を撮りたいから止まって欲しいというと、「このちょっと先で止まってあげるから。そこの方がずっと景色がいいから。」そして、パチリ、パチリ(最初の上写真)。


さあ、駅へ、と思ったのだけれどほんの少しだけ時間があったので、前回の旅行の時に寄った駅の裏手にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会(S.Maria degli Angeli)へ行ってもらった。「5分だけだよ。電車に間に合わなくなるからね。」と運転手さん。
懐かしい!そうそう、教会の上に金色のマリア様が両手を広げて立っていて、その格好をまねして写真撮ったよね。もう一度、パチリ。
「うまく見て回れたわね。」と我がママ。途中、地図がうまく見れないくせに好き勝手に歩いて回るので、ついて行くのにちょっと疲れたが、ま〜たいした我がままもなく満足の様子でよかった、よかった。予定通り、電車に乗ってローマへ。

 


夕陽の沈むアッシジ駅をあとにした。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送