今から5年程前の1997年秋、母と私はイタリアへグループ旅行したことがあった。その旅行日程に、アッシジ(アッシジは山岳都市である)が含まれていた。しかし、その旅行に参加するのを決めてから、アッシジに大地震が起きた。皆さんもご存知の通り、アッシジはかなり破壊され、しばらく閉鎖されていた。そんな訳で、私たち観光客はアッシジへは入ることができなかった。しかし、旅程に入っていたのでアッシジのふもとのホテルに1泊し、遠くから丘の上のアッシジ(クレーンで修復している姿が見えた)を眺めた。まだ、揺れもどしがあると聞いていたので、ホテルの部屋の壁に亀裂が入っているのを見たら、ちょっと泊まるのは不安があった。何よりも、そのツアーのバスドライバーのマリオ(確か、彼の名はマリオ:Marioだったと思う)は、地震を普通異常に恐れていて、「こんな所に泊まるなんて信じられない!マンマミーア!(Mamma
Mia!)とさわいでいた。その日は幸い揺れなかったので良かったが、揺れていたら一人でバスに乗って逃げ出していたかも。そして翌朝、バスに乗り出発し、足早にアッシジを後にしたのだった。そんな思い出があったので、アッシジ行きは、私も楽しみだった。
アッシジへの直通電車は、午前中には1本。選択の余地なしで、フィレンツェ
8:09発 アッシジ 10:33着に決定。
そして、ゆっくりアッシジを見て回り、夕方ローマへ向かって1泊することにしよう。1日目はこれで終了。
2日目は、ローマを観光。ローマもグループ旅行の時来て、自由行動で主な所は見て回っていた。私は、その後にも訪れているので、母の見たい所を聞くことにした。そして、夕方ローマを発って1時間半弱のモンテフィアスコーネ(Montefiascone)へ行ってみようと思った。ここを選んだのは、最初に海が見たいと言っていた母の希望をちょっと取り入れようと思い、海ではないが湖の見える町だったからだ。また、何かの本で、ここから夕方眺める湖の景色は素晴らしい、と書いてあったのと、白ワイン”エスト エスト エスト(EST
EST
EST)”の産地として有名だったからだ。そこへ1泊。翌日は、オルビエート(Orvieto)へ寄って、それからフィレンツェへ戻る予定をたてたのだった。しかし、予定はあくまでも”予定”である。”わがまま”な我がママといっしょの旅行で、計画通りに行くはずがない。電車のチケットもホテルも取らず、母のフィレンツェへの到着を待った。
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