フィレンツェから列車・バスの旅 2泊3日 

(1)プロローグ

(2)第1日目

(1) プロローグ

この旅は3月下旬、日本から友人達とミラノ(Milano)からベルガモ(Bergamo)を観光して、ロンバルディア州(Lombardia)にあるアダメッロスキーエリア(Adamello)でスキーを楽しんだ帰りに1人で遊びに来た母との旅行。

 

日本から電話で、「海が見たいからリボルノ(Livorno)へ行ってみたい。」ということだったので、列車の時刻表”Orario Generale”を街頭の新聞雑誌の売店(Edicola)で購入した。3,36
フィレンツェ(Firenze)からリボルノまでは、ピサ(Pisa)経由で約1時間20分。フィレンツェから直通、出発が8時以降でリボルノへの到着が午前中の列車を探すと3本しかない。東京だったら、30分に1本はあるのに・・・。リボルノの後は、どこへ行こうかしら、と考えていると母からメールが届いていた。「アッシジ(Assisi)には行きたいの。それからローマ(Roma)もい〜かなぁ。」えっ???リボルノじゃなかったの?はぁ・・・いつものことながら”わがまま”な我がママである。そして計画変更!アッシジへはフィレンツェから日帰りでも充分行けるのだが、アッシジからそのままローマへ行くことにした。

 

今から5年程前の1997年秋、母と私はイタリアへグループ旅行したことがあった。その旅行日程に、アッシジ(アッシジは山岳都市である)が含まれていた。しかし、その旅行に参加するのを決めてから、アッシジに大地震が起きた。皆さんもご存知の通り、アッシジはかなり破壊され、しばらく閉鎖されていた。そんな訳で、私たち観光客はアッシジへは入ることができなかった。しかし、旅程に入っていたのでアッシジのふもとのホテルに1泊し、遠くから丘の上のアッシジ(クレーンで修復している姿が見えた)を眺めた。まだ、揺れもどしがあると聞いていたので、ホテルの部屋の壁に亀裂が入っているのを見たら、ちょっと泊まるのは不安があった。何よりも、そのツアーのバスドライバーのマリオ(確か、彼の名はマリオ:Marioだったと思う)は、地震を普通異常に恐れていて、「こんな所に泊まるなんて信じられない!マンマミーア!(Mamma Mia!)とさわいでいた。その日は幸い揺れなかったので良かったが、揺れていたら一人でバスに乗って逃げ出していたかも。そして翌朝、バスに乗り出発し、足早にアッシジを後にしたのだった。そんな思い出があったので、アッシジ行きは、私も楽しみだった。

アッシジへの直通電車は、午前中には1本。選択の余地なしで、フィレンツェ 8:09発 アッシジ 10:33着に決定。

そして、ゆっくりアッシジを見て回り、夕方ローマへ向かって1泊することにしよう。1日目はこれで終了。
2日目は、ローマを観光。ローマもグループ旅行の時来て、自由行動で主な所は見て回っていた。私は、その後にも訪れているので、母の見たい所を聞くことにした。そして、夕方ローマを発って1時間半弱のモンテフィアスコーネ(Montefiascone)へ行ってみようと思った。ここを選んだのは、最初に海が見たいと言っていた母の希望をちょっと取り入れようと思い、海ではないが湖の見える町だったからだ。また、何かの本で、ここから夕方眺める湖の景色は素晴らしい、と書いてあったのと、白ワイン”エスト エスト エスト(EST EST EST)”の産地として有名だったからだ。そこへ1泊。翌日は、オルビエート(Orvieto)へ寄って、それからフィレンツェへ戻る予定をたてたのだった。しかし、予定はあくまでも”予定”である。”わがまま”な我がママといっしょの旅行で、計画通りに行くはずがない。電車のチケットもホテルも取らず、母のフィレンツェへの到着を待った。

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